第 26 回
クレジットは江戸時代に発展した!~クレジットの歴史を辿る(近世編)
クレジットの原型は古くから存在していましたが、中世以前はモノとお金で貸し借りをしていました。
現代のように「信用」による貸し借りが出現するのが近世、すなわち江戸時代です。江戸時代には、現在の財閥系銀行のルーツも出現します。
クレジットが存在しない時代
社会が混乱すると「徳政令」という法令が命じられることがありました。
これは、金銭や土地が原因で起こった訴訟を円滑に処理するために、債権者や金融業者に対して債権放棄を命じるものでした。
これによって政府は債務者の求心力を回復することができましたが、次第に農民が「徳政一揆」を起こすようになり幕府の権威は失墜しました。
現代でもクレジットという言葉には「信用」という意味合いが含まれますが、この信用が全く存在しないのが戦国時代に代表される戦乱の世です。信用がなければ契約も存在しませんし、いつ死んでもおかしくない時代にクレジットは無用でした。
クレジットが次の段階に発展するのは江戸時代を待たなければなりません。
両替商の出現
江戸時代はまだ、現代のように全国で統一した通貨・紙幣が流通していたわけではなく、金貨・銀貨・銭貨(銅)が並行して用いられていました。
この3つを取引するために両替が必要だったため、両替商が出現します。
鴻池善右衛門(初代)が1656年に大阪ではじめた両替商は、第十三国立銀行・三和銀行を経て現在の三菱UFJ銀行になっています。また、三井高利が1686年に東京の日本橋に開業した三井両替店は、三井銀行・さくら銀行を経て三井住友銀行となっています。
「信用」の成立
愛媛県今治市に「月賦販売発祥記念の碑」という記念碑があります。
桜井漆器に名前を残す今治市の桜井地方は、江戸時代これといった特産品もなく、農業以外の副業を営む必要がありました。
そこで、船の操縦に長けていた人々が行商に出るようになります。
やがて、春には九州の唐津・伊万里から陶器を仕入れて関西方面に行商し、和歌山で仕入れた漆器を九州に行商するようになりました。この漆器の売れ行きが非常に好調で、商船を「椀舟(わんぶね)」と呼ぶようになります。
当時、陶器や漆器は大変高価なものだったので、代金を一度で支払うのは難しいことでした。そこで、商品を先に渡して、代金は盆暮れの2回で後払いする支払い方式が生まれます。さらに、月ごとに集金する「月賦」が成立しました。
これが日本における信用取引の起源と言われています。
クレジットの歴史をたどる旅はいかがですか?
中世以前のクレジット資料は古文書などで残っていますが、歴史的資料なので目に触れる機会が少ないです。
それに対して近世の資料は今治市の記念碑以外にも、「三井両替店旧跡」や「旧鴻池家本宅跡」が残されています。
お近くに旅行の機会があれば、訪れてみてはいかがでしょうか?
執筆日2023年3月28日
監修日2023年4月1日
大学卒業後、数年フリーターを経験。その後IT企業へ就職し、システム運用業務に従事。IT企業への就職と同時に始めた一人暮らしで、思い通りに貯蓄が増やせないことに悩んでいた時にFPについて知る。
その後、自身の保険相談や資産運用の相談を通じて、FPの持つ可能性と奥深さに興味を持ち2級FP技能士を取得する。2019年5月AFP認定。現在はIT企業に勤務する傍ら、どんな状況でもお金に振り回されない人生を歩むためのガイド役となるべく活動している。
FP(金融)業界の現状を知り、お客様との利益相反を一度も起こしたくないという思いから、2022年にFPサテライト株式会社入社。
個人のお客様だけでなく、法人向けのコンサルティングにも対応するために、中小企業診断士の勉強を経て2021年度に一次試験合格を果たす。
個人、法人両方のコンサルティングを中立的な視点からサポートすることを心掛けている。