第 29 回
貸金業法改正までの背景~クレジットの歴史を辿る(昭和から平成編)
高度経済成長期を経て、日本はバブル景気の時代に突入します。
地価と株価がどこまでも上がり、お金が無限に増える錯覚に囚われた人たちはクレジットカードを乱用します。
そのためバブル崩壊後に消費者金融の利用者が増加することとなり、自己破産の防止策として規制強化がされました。
信用情報と法律の整備
江戸時代には、すでにブラックリストのような信用情報が貸金業者の間で存在しました。
これは借金を踏み倒したり、転宿(てんやど)といって借金を返すために別のところから借金を重ねる武士がいたためです。
同じように戦後、サラリーマン金融(=サラ金)が現れてまもない昭和50年前後には、キャッシング業者の間でブラックリスト情報を交換する組織が登場しました。
同じ頃、顧客の返済能力を超えた過剰貸付や、高金利、強引な取り立てといった、いわゆる「サラ金被害」が社会問題化しました。このため昭和58年に「貸金業法」が制定され、同時に出資法も改正されます。
これにより金利の上限が年109.5%から73%へと引き下げられ、平成に入ってから最終的には年20%まで引き下げられています。
バブル時代とバブル崩壊後
昭和50年代後半になると、流通業界がクレジット業界に参入します。
現在のセゾンカード、イオンカードが生まれたのがこの頃で、小売本業をサポートするとともに消費を拡大しました。
折しも時代はバブル景気に湧いており、海外旅行や嗜好品にクレジットカードが利用され、昭和62年には国内の発行枚数が1億枚を突破しました。
平成元年の末に株価が3万8915円を記録したのをピークに、日本経済はしばらく下り坂の時代を迎えます。
バブル崩壊によって銀行が融資を控えたため、消費者金融の利用者が急増したのがこの時代です。無人契約機の出現で新規利用者も増加し、長者番付の上位に消費者金融の経営者が名を連ねることとなりました。
21世紀のクレジット
消費者金融の債務による自己破産の件数は2000年に16万件を越え、2003年のピーク時には24万件に達します。このため消費者金融への批判が高まり、2006年の貸金業法改正によって規制が強化されます。
この改正は「過剰貸付の禁止(総量規制)」「執拗な取立て行為の規制」「ヤミ金対策の強化」「上限金利の引き下げ(年29.2%→20%)」が主な内容でした。
やがて消費者金融は経営難から大手銀行の傘下に入り、現在に至ります。
銀行は個人向け融資のノウハウを得て、消費者金融はイメージアップに繋がるという利害が一致しました。
利用者にとっても審査スピードが向上し、提携銀行のATMが手数料無料で利用できるメリットが生まれました。
クレジットカードの適切な利用を
インターネットの出現によってクレジットはさらに便利な時代になりました。
それでも日本は現金信仰が強く、キャッシュレス決済の比率は他国と比較して低い状況です。
バブル期以降に根付いたキャッシングに対するネガティブなイメージの払拭と、正しいクレジット知識の啓蒙がこの先も課題となるでしょう。
執筆日2023年3月28日
監修日2023年4月1日
大学卒業後、数年フリーターを経験。その後IT企業へ就職し、システム運用業務に従事。IT企業への就職と同時に始めた一人暮らしで、思い通りに貯蓄が増やせないことに悩んでいた時にFPについて知る。
その後、自身の保険相談や資産運用の相談を通じて、FPの持つ可能性と奥深さに興味を持ち2級FP技能士を取得する。2019年5月AFP認定。現在はIT企業に勤務する傍ら、どんな状況でもお金に振り回されない人生を歩むためのガイド役となるべく活動している。
FP(金融)業界の現状を知り、お客様との利益相反を一度も起こしたくないという思いから、2022年にFPサテライト株式会社入社。
個人のお客様だけでなく、法人向けのコンサルティングにも対応するために、中小企業診断士の勉強を経て2021年度に一次試験合格を果たす。
個人、法人両方のコンサルティングを中立的な視点からサポートすることを心掛けている。