第 28 回
戦後、クレジットカードが誕生~クレジットの歴史を辿る(終戦から高度経済成長期編)
昭和20年に太平洋戦争は終結しましたが、日本は壊滅的な打撃を受けて混乱期の中にいました。お金も物もないうえに食料もなく配給も遅れがち、という危機的な状況でも経済活動は行われます。
復興の過程で、どのようにクレジットが復活していったのでしょうか?
月賦販売の復活
戦前に発展した月賦販売は、戦争によって営業を停止します。
終戦直後、物資が不足している中質屋にモノを預けてお金を借りることで、庶民は生き延びます。
昭和20年代前半には、戦争中に営業を停止していた月賦百貨店が相次いで再開。昭和24年にはリッカーミシンがミシンの月賦販売を、昭和26年には松下電器産業がラジオの月賦販売を開始します。
信販会社と「クレジット」の始まり
昭和26年には初めての間接割賦販売会社「日本信用販売(現:日本信販)」が設立されました。
当初は個人が信用で金銭を借りるのではなく、会員制で参加して、百貨店で月賦に使用できるクーポンを配布するというシステムでした。
クレジットという言葉が初めて使われたのは昭和35年、丸井が「便利でお買い得な丸井のクレジット」というキャッチフレーズでした。
ここで月賦はクレジットという名称になり、商品の先取りと代金の後払いを指す言葉として定着します。
クレジットカードの出現
クレジットという言葉が生まれましたが、まだ丸井のクレジットは丸井でしか使えませんでした。
昭和35年に日本ダイナースクラブがクレジットカード業務に着手、翌年には日本クレジットビューロー(現:JCB)が設立されます。
この2社によって現在のクレジットカードと同じ仕組みのクレジットが始まり、これ以降クーポンや手形による月賦販売は収束していきます。
特にダイナースが発行したプラスチックのクレジットカードは世界初で、のちに情報を読み書きできる磁気カードへとつながっていきます。
昭和40年代に入ると銀行や大手百貨店がクレジットカード業務に参入し、個品割賦購入あっせん(ショッピングクレジット)の取扱高は著しい伸びを示しました。
クレジットカードの登場が、高度経済成長を促す要因にも
日本は戦後の焼け野原から奇跡の復興と経済成長を果たしたと言われますが、月賦=クレジットの普及が国民の生活レベルを向上させたことが一因と考えられます。
信販会社とメーカー・販社との提携が進み、高価格な商品を購入することができるようになりました。しかしそのために日本人は「モーレツ社員」と呼ばれるほど働きました。
クレジットも仕事も、自分のできる範囲で無理なく利用したいものです。
執筆日2023年3月28日
監修日2023年4月1日
大学卒業後、数年フリーターを経験。その後IT企業へ就職し、システム運用業務に従事。IT企業への就職と同時に始めた一人暮らしで、思い通りに貯蓄が増やせないことに悩んでいた時にFPについて知る。
その後、自身の保険相談や資産運用の相談を通じて、FPの持つ可能性と奥深さに興味を持ち2級FP技能士を取得する。2019年5月AFP認定。現在はIT企業に勤務する傍ら、どんな状況でもお金に振り回されない人生を歩むためのガイド役となるべく活動している。
FP(金融)業界の現状を知り、お客様との利益相反を一度も起こしたくないという思いから、2022年にFPサテライト株式会社入社。
個人のお客様だけでなく、法人向けのコンサルティングにも対応するために、中小企業診断士の勉強を経て2021年度に一次試験合格を果たす。
個人、法人両方のコンサルティングを中立的な視点からサポートすることを心掛けている。